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3分間法話
  人間中心の生き方が結果するもの
中川皓三郎
第13回 <1995年1月>
 

時に国王あり。
『仏説無量寿経』


 これは、もう3年も前に起こった事件なのでありますが、西武新宿線・新所沢駅東口のタクシー乗り場で、深夜東京へ帰ろうとして、ご夫婦でタクシーを待っておられた50歳すぎの男性が、列の後ろのほうで騒いでいた少年・少女たちに向かって「ちゃんと並べよ」と注意したことがきっかけになって、その少年たちに殴る蹴(け)るの暴行を受けて殺されるという事件が起こりました。

 そして、その事件を特集した週刊誌は、「若者を蝕(むしば)む『むかつき病』」という見出しをつけて報道していました。現代の若者を蝕んでいる「むかつき病」という病気が、このような惨事を引き起こしたのだというわけです。

 私は、この「むかつき病」という言葉に、ただひたすら自分の思い通りになることだけを求めて生きる、そしてまた、自分の思い通りにならなければわけもなく腹を立ててしまう、本当に自分勝手な、現代を生きる私たちの姿を思い浮かべることができるのですが、皆さんは、どうでしょうか。

 実はまた、このように自分勝手にひたすら自分の思い通りになることだけを求めて生きる私たちの姿は、ルネッサンス以降、科学技術に代表される人間の理性というものに依(よ)りながら、私たち人間が、人間中心に、限りもなく豊かで、便利で、快適な生活を追い求めてきた姿でもあると言えるのであります。

 確かに、現代という時代を生きる私たちは、その恩恵を受けて、豊かで、便利で、快適な生活を営むことができているのですが、しかし、このように私たちが、自分中心、人間中心に生きることによって、どういうことが結果されてきたかと言いますと、それは「大地喪失」というような言葉で語られる事態なのであります。

 なぜなら私たちが、自分中心、人間中心に生きるということは、どこまでも私たちの都合というものによって、あらゆるものが、私たちの思いに適(かな)うものと思いに適わないものとの二つに分けられ、思いに適うものは善(よ)きものとして居場所が与えられ、思いに適わないものは、たとえそれがどのようなものであっても悪(あ)しきものとして、その居場所が奪われるということになってしまうからであります。

 だから、このように生きるところには、どこにも、あらゆるものがあるがままに受け入れられる大地はないということです。

そういうことで、私たちもまた、「できる自分」であることが求められ、「あるがままの自分」を生きることができずに苦労しているのであります。

 あらためて、仏教において、この私たちの自分中心、人間中心の生き方が、「国王」を目指しての生き方であることが教えられ、その「国王」のところには、本性にしたがって、あるがままの自分を生きることのできる大地のないことが教えられていることを、大切なこととして思うのであります。

(京都・大谷専修学院指導)


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