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3分間法話
  声にならない叫び
竹内維茂
第10回 <1994年7月>
 

いささか所労(しょろう)のこともあれば、
死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、
煩悩(ぼんのう)の所為(しょい)なり。
[『歎異抄』]


 お年寄りがフトもらされたひと言、そしてその言葉に感動された家族、そこに何ともいえない温かさが感じられます。
永六輔さんが二〇年来、全国を旅して心に響いた市し井いの人たちの老・病・死に関するひと言を『大往生』(岩波新書)という本にまとめられました。さすがに上手に文章が展開していますので、一気に読み通せます。

 この『大往生』のご老人たちの言葉は前向きで明るい。そして生活に根ざした生きた知恵があります。

○「歳をとると、だんだん世の中がつまらなくみえてくるんですよ。つまらなくならなきゃ未練があって死ねやしません」

○「生まれてきたように死んでいきたい」

 別に理屈だてて詮索(せんさく)することではなく、感応すればよいと思う。だがどうも、確かにどの言葉も本音のように聞こえるけれども、何かこの本音そのものは、「こうありたい」「こうあるべきだ」という建て前や願望からの言葉と聞こえるのです。実はこの奥底には、自分ではどうしようもない我が身の老いの事実が、「訴えようのない訴え」として「助けてほしい」という声にならない叫びが隠されているのではないでしょうか。

○「歳をとったら女房の悪口を言っちゃいけません。ひたすら感謝する。これは愛情じゃありません。生きる知恵です」

 さんざん道楽した果ての下町の頭(かしら)のほのぼのとした愛情の言葉です。しかし、もっと強いのは生きる知恵です。つまり、自己保身の知恵です。これなしには活いきられません。だが、この自己保身の知恵が役に立たなくなるのが死の事実です。完全な保身はあり得ません。だからこそ自己保身せずにいられないのです。この矛盾に満ちた事実が人間の業ごうでしょう。老人性うつ病であろうと、上手に生きる知恵があろうと本当の救いはありません。声にならない叫びを思いっきりあげたくても、本当にそれを聞いてくれる人に出遇あえないのです。だから声にもならず虚むなしく終わってしまうのです。

 ところが驚いたことに、仏の方から私に本当のことを呼びかけてくださっている。『歎異抄』の九章の一節に「いささか所老(しょろう)のこともあれば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、煩悩(ぼんのう)の所為(しょい)なり。云々」。「ちょっと病気でもすると死ぬのではないかと心細く思い悩み、限りない迷いをくりかえし、苦しみを離れ得ない今の娑婆(しゃば)の生活ではあっても、とても捨てられない思いが深く、安らかな浄土に来いといわれても恋しくも思われないのは、それこそ限りなく自己保身の業が深いからです」。

 ここには建て前も見えもありません。うそのない事実の智です。それは仏の智慧(ちえ)と慈悲(じひ)に呼び覚まされ真実の智慧に蘇(よ)みがえった方のお言葉です。「あゝ『苦悩の旧里(きゅうり)はすてがたい』。ただそれだけです。でも親鸞聖人は決してうそはおっしゃらない。だから私のようなものでもお供がさせていただけます。なむあみだぶつ」。癌で亡くなったある同行(どうぎょう)の言葉です。

(渋谷区・崇信教会主管者)


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