自分の考えや意思を相手に伝える一つの方法として「ことば」がある。そのことばには発する人の「いのち」が相手の心に響き、うなずき感動にかわることがしばしある。ただのことばと思ったことがいつまでも心に残ることもある。
26歳の会社員の方が新聞に、父の最後の教えとして、「がんは舌にまで転移、父はもう話すことすらままならなくなっていた。その分、私がいろいろな話を聞かせてあげようと思い、明るく元気に病室に入ったが父の顔を見た途端、涙がこぼれそうになった。すると父は私の手をそっと握ってくれた。帰る時間が近づくと、父は握っていた手に、ぎゅっと力を込めて何か言おうとした。父の口元に耳を近づける『行ぐときは、他の皆にちゃんとおだいじにと言うてぐがあぞ』と聞き取れた。何を言うかと思っていたので少し拍子抜けした。結局これが私にとっての、父の最後の言葉になってしまった。今になってみると父は『あいさつは大事なんだよ』ということを改めて教えていってくれた」と述べられている。きっとこの方は死に赴(おもむ)く父の最後のことばとして、妻子を大事になぁ、健康に気をつけろよなぁ、お父さんは何の心配もしていないよ、と、自分に励ますことばを期待していたのかもしれない。しかし自分の思いに反して、最後まで父親であったという念(おもい)と、改めて父を見直し尊敬の情を抱いたことであろう。
私はどうであろうか。何げなく妻子やご門徒の方と語ることばを無頓着に聞いてはいないだろうか。そういう時は、相手はいても相手が見えない時だ。するといつのまにか自分だけが、社会からも相手からも疎外されているように思いはじめる。そうさせた相手が悪いと思い込み、相手を悪人にしないと私の気がおさまらない。一番の悪人は自分だと思えないのだ。
ところが、相手の語ることばに耳をかたむけると、今まで聞こえてこなかった声が、「あっ!そうであったのか」と聞こえてくることがある。ことばはそういう不思議な力をもっている。
一つのことばでけんかして、
一つのことばでなかなおり。
一つのことばにおじぎして、
一つのことばにないている。
一つのことばはそれぞれに、
一つのいのちをもっている。
みんなでいおうよ、ありがとう……と。この詩(うた)にふれたとき、一つのことばが持っている大事なこころが私に伝わってきた。そのこころが「たった一言で、人は傷つき、こころ温まる」と響いてきた。
親鸞聖人がお話をされたことばが、教えとして耳の底にとどまってあらわされたのが『歎異抄』であった。忘れられないただのことばを大事にして生きることが、遺教(ゆいきょう)に生きる新しい人生の第一歩ではないだろうか。
(茨城県・専照寺住職)
