随分と前に、ある療養所をお訪ねした時の話である。
親分肌のあたたかい人柄、実に鋭敏な頭脳、果断な行動力の持ち主のAさんが、座談の席上、突然、こうきりだした。「先生、私たちのことは、お医者さん、看護婦さんすら、なにかこうさけているのではないかというふうに思えるんですがネ……。先生はどうなんですか」
私は、一瞬ためらいながらも、
「ごめんなさいネ……。私という人間は、本当に我執(がしゅう)の強い人間でネ、いい女性はいい女性とみえてしまうんです。所詮、感覚上の迷いとは判わかっていながら、止められないんですよ……。分別意識のかたまりの私なんです」
と答えた。座談の話題は次のテーマに移っていく。
帰途の車中、師(故桜井鎔俊和上)の法話が、新たに聞こえてくる。
それは、数十年も前に、一仏教誌にのった柳宗悦(やなぎむねよし1889〜1961大正・昭和期の有名な民芸研究家。昭和11年、日本民芸館開設、館長となる。『柳宗悦全集』十巻がある)氏の一文からの引用だ。
「柳宗悦さんが、古来、朝鮮木器の名産地として有名な雲うん峰ぽうの工房を訪ねた時の話です。
驚いたことに、韓国の工人が、なま新しい松の大木をすぐ本びきして一気に仕上げている。日本では、あとでゆがみがこないように枯らすだけ枯らしますからネ。
こんな生木をひいてよいものだろうか、不安のままに柳さんが尋ねたそうです。
『こんな生木をひいて割れが入りはしないか』
『割れてはいけないか』
『割れたら困るではないか』
その時、韓国の工人からすばらしい答えがかえってきた。
『割れたら直せばよい』
割れるとか割れないとかに執とらわれていた自分に気づかされた柳さんは、そのショック体験によって『美醜未分の美』という新しい民芸運動を起こしたそうです」
乗客もまばらな、コトンコトンと走る最終列車の中で、ただ独ひとり、ここまで師の法話をかみしめていた時、厳しい境遇の中で静かに明るく生きている実に美しいOさん夫婦の姿がうかび、その信仰の語りあいの場では、美醜の感覚なんかとうに消えてしまっている事実がよみがえってくる。
都みゃこ生まれ、都育ちの親鸞聖人は、三五歳の時、権力の弾圧のため、新潟に流される。サラリーマン社会に応用すれば、実に厳しい左遷ということであろうか。
都とは、文化程度も言葉も違う。しかも、人間の売り買いまでされていた貧困の中で、その日その日を必死に生きる「いなかの人々」に、一人の流罪人として初めて出あった聖人は、その人たちのいのちの底に、都の知識人とは違ったウソのない「真実の智慧(ちえ)の光と真実のいのち」を感じたのであろう。
つい先日、昨年結婚した一人娘に「孫はまだか」と催促したら、笑いながらも、「孫ができてもだめ、お父さんには抱かせない。だってお父さん、きたないんだもの」と言われ、未だに心のどこかにひっかかっている。
きたないといっていじめられ、自殺まで追い込まれる中学生のことが報道される現代である。今、美醜を分ける感覚の真っ暗がりを感ずるのは私だけであろうか。
(港区・了善寺住職)
