法事のお斎(とき)(食事)の席に遺影を持参してもいいですか、という質問を受けることがあります。理由をお聞きしますと、写真の前にお膳を供えるというのです。なぜ供えるのですかと問い返しますと、生きている私たちばかりが飲み食いして、故人に何も差し上げないのは、どうもおかしいというわけです。中には、写真に語りかけながら、生前中故人が好きだったビールやお酒、ジュースなどをコップに注ぎ供える方もあります。
ところで、宗旨によっては、命日や年忌(ねんき)法要、お盆、お彼岸のときに供えるお膳があります。それを霊供膳(りょうぐぜん)というようです。この膳は仏事にあたって亡き人に差し向けるご馳走(ちそう)のことで、お仏壇の前に、しかも仏前に箸(はし)が向くように供えるといわれています。
つまりそれには、亡き人へ功徳(くどく)を振り向けるという意味があるのでしょう。ところが浄土真宗は、本願他力という教えが示すように、自らの力で善を励み、功徳を振り向けるという教えではありません。阿弥陀如来のはたらき(本当の願い)を自らのいのちとすることによって、浄土に生まれさせていただくという教えです。
浄土真宗では「仏」といった場合に、正式には「阿弥陀如来」をさしていいます。私たちと「阿弥陀如来」との関係で申し上げますならば、私たちが阿弥陀如来に功徳を振り向けるのではなく、私たちは阿弥陀如来の功徳をいただく存在なのです。
また、亡くなられた人に対しても「仏」と一般的には言われていますが、浄土真宗では「諸仏」と表現します。「仏」と「諸仏」の違いは、阿弥陀如来とその教えを伝えてくださった方という関係になりましょう。つまり、直接、浄土真宗を伝えてくださった方を尊い方=仏さま(諸仏)といただいてきたのです。
くり返しますが、仏前は亡き人に功徳を振り向けるところではなく、逆に教えをいただく場所であるということです。ですから、お膳を仏前に供える必要がないわけです。ましてや、お斎会場に遺影を持参し料理を供える必要もないわけです。
亡き人に対する生前の思いを断ち切ることは容易なことではありません。それほど人間の愛執の念が強いのです。だからといって、飲み物や食べ物をどれほど並べても、仏さまは食べるということをしません。仏さまが願う本当のことに、いち早くお気づきください。