法事といいますと、一般的には「年忌法要」をさしていわれます。広義には、法事は「仏法の事」ですから、朝夕のお勤めもお葬式も、仏さまの教えに基づいて行われるもの(仏事)すべてが法事といえます。この欄では、年忌法要ということで話を進めたいと思います。
法事は、亡き人をご縁にして行う仏教儀式です。亡き人をご縁にして行う行事は、宗教によって異なるでしょうし、仏教でも宗旨・宗派によって異なります。

例えば、追善供養(ついぜんくよう)という言葉があります。『仏教大辞典』(法蔵館刊)には、「人の死後、亡者の苦を除き冥福をいのるために善(ぜん根こん福ふく徳とく)を修めて、その功(く徳どく)をたむけるのをいう」とあります。私たちの力をもって亡くなった方を救おうというような意味です。一般的に法事は、この追善供養という意味で考えられています。
しかしながら、浄土真宗は、親鸞聖人自らが「親鸞は父母の孝養(きょうよう)のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず」と語っておられますように、亡くなった父母の追善供養のための教えではありません。つまり浄土真宗の法事は、亡くなった方を救うために行われるものではないということです。
先の『仏教大辞典』には続けて「真宗の場合は他力往生が建前であるから自力の追善を必要とせず、年忌法事などを営むのはただ聞法(もんぽう)と報謝(ほうしゃ)<仏や祖師の恩に報い徳を感謝する>のためとし、追善とはいわない」とあります。
私たちが法事をおつとめする意味は、私たち自身が救われていくという内容を持っています。一つには「聞法」といわれています。聞法とは仏法を聞くことです。私自身をいい当てている真実の言葉(法)に出あうことです。亡くなっていかれた方から、本当に聞き取らなくてはならない大事なことを感じ取ることです。
二つ目は「報謝」です。真実に出あえたとき、私にまで教えを伝えてくださった方々に感謝する心が生まれるのです。そのとき初めて、亡き人に手が合わされ、亡き人を仏さま<諸仏(しょぶつ)>といただけるのではないでしょうか。