お内仏に必要な仏具「三具足(みつぐそく)」のうち、今回は向かって右側にお飾りする燭台(しょくだい)についてお話します。燭台とはローソクを灯(とも)すための仏具のことで、真宗大谷派では鶴亀(つるかめ)の燭台を用います。花瓶(かひん)や土香炉(どごうろ)と同様、お内仏(仏前)を荘厳する仏具の一つです。
親鸞聖人は浄土真宗を「南無不可議光(なむふかしぎこう)」(正信偈(しょうしんげ))と、「光」をもって表現されました。南無阿弥陀仏の心を光をもって教えてくださったわけです。月の光は闇夜を照らし、進むべき方向を示してくれます。同様に、生きあぐね迷い続ける私たちに生きる方向を示してくださるのが仏さまの智慧(ちえ)の光です。
そういう意味で、仏前を荘厳するローソクの光は、ご本尊(阿弥陀如来)を明るく照らすだけではなく、仏さまの智慧のはたらきを表現しているのです。
さて、鶴亀の燭台を用いる理由には諸説があります。その一説は鶴と亀の足に譬(たと)え、「鶴の足は長く、亀の足は短い。鶴の足も亀の足も、それぞれ自らの特性であるから、長い足を切る必要もなく、短い足にたす必要もない。ともにその特徴個性こそ尊重されるべきものだ」というものです。
つまり、浄土真宗の教えは、「老少善悪(ろうしょうぜんまく)の人をえらばれず、ただ信心を要ようとす」(歎異抄)とありますように、人それぞれ長短善悪の違いがあるけれども、浄土真宗はえらぶことがありません。人みな念仏を申し、仏さまの智慧の光に出あうとき分け隔(へだ)てなく救いが成就するのです。
鶴亀はこういう阿弥陀如来の心を表現しているのです。お内仏に向かうたびに、この教えを思い起こし味わってほしいという願いが込められているのです。私たち人間は、人を差別の眼で見、善(よ)し悪(あ)しの判断で切り捨てていきます。こういう邪(よこしま)で驕(おご)り高ぶる私たちの心を阿弥陀如来の智慧の光はいつも照らし出しているのです。鶴亀の燭台には、祥月(しょうつき)命日や年忌法要、彼岸やお盆などのお勤めのときに点じます。普段は木製の木蝋(もくろう)をさしておきます。線香を燃(ねん)じるためのロウソクは、専用の燭台を手前に用意しておくと便利です。