これまでにもお話ししてきましたが、浄土真宗のご本尊(ほんぞん)は阿弥陀如来(あみだにょらい)です。阿弥陀如来のお姿には、木に彫った木像(もくぞう)の本尊、絵に描いた絵像(えぞう)の本尊があります。
木像本尊は一般的に、寺院の本堂に安置されていますので、お参りの際に手を合わされた方も多いと思います。一方の絵像本尊の場合は、主としてご家庭のお内仏(ないぶつ)におかけいただいてます。(前号で一覧表にした「ご本尊の大きさ」は絵像本尊のこと)
木像・絵像両本尊の他にも、言葉に表した名号(みょうごう)本尊があります。その元となるのが「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」(漢字六文字であることから六字(ろくじ)名号と呼ぶ)です。
このように、浄土真宗のご本尊を形に表した場合、木像・絵像・名号の三種類に分けることができます。
では、ご本尊にはどのような意味があるのでしょうか。
本尊の語源を尋ねてみますと、私たちを守ってくれるものという意味があったようです。そのことを現代に置き換えて考えてみますと、寺社のお守りやお札がそれに当たりましょう。例えば、交通安全のお守りを車中に下げることで、交通事故から守ってくれるということになるのでしょう。
あるいは、阿弥陀如来に合掌して、「どうぞ仏さま、私をお守りください」と祈り願ったとすれば、阿弥陀如来が守護神的な意味になってしまいます。(参考・・・平野修著『南無阿弥陀佛のいわれ』)
しかしながら、浄土真宗のご本尊は、そういう私を守ってくれるものという意味ではありません。
仏教は生きることの苦しみや死の不安からの解放を説く教えであることは、すでに申し上げました。このような仏教の原点に立って、私にとってのご本尊といった場合、それは外から私を守ってくれるものではなく、私の内に発見するものです。
つまり、ご本尊とは人生において本当に尊いことであり、真の拠(よ)り所(どころ)であります。このことさえはっきりすれば、他の仏さまや神さまにお願いする必要のない生活を開いてくるものなのです。
次回から詳しくたずねてみたいと思います。