真宗会館は、従来から「お仏壇」のことを「お内仏(ないぶつ)」と呼びならわしてきました。これは単に、他宗の仏壇と区別するために、名称を変えてきたということではありません。「お内仏」と表現することで、浄土真宗独特の意味(宗風(しゅうふう))をいただいてきたのです。
前号でもお話ししましたように、お内仏は、ご本尊(ほんぞん)をお掛けして礼拝勤行(らいはいごんぎょう)し、仏法を聴聞(ちょうもん)するところから出発しました。ご本尊をお掛けしたところは、すべて仏法聴聞の場であったわけです。そのようにして、お内仏の前で、生まれた意義と生きる喜びに目覚める人生を学んできたのです。
ところで、仏教の歴史や昨今の宗教事情を振り返ってみますと先祖供養や追善供養あるいは現世利益をことさらに説くものが数多くあります。これには、さまざまな苦しみや身にせまる災いから逃れるための祈願の宗教といえましょう。
ところが浄土真宗は、祈り願うことしかできない私たちの生き方や自らの愚かさ、そして驕り(おご)り高ぶる私の姿が知らされ、念仏を申すことで救われつつある自己に目覚めていく教えです。

熱心な真宗門徒のご家族では、お内仏の前で朝と夕方、「正信偈・念仏・和讃(わさん)」の勤行(おつとめ)と「御文(おふみ)」(蓮如上人のお手紙)の拝読を日課としています。つまり、合掌礼拝と仏法聴聞をかかさないわけです。
このような生活の中で、自らのご本尊(本当に尊いこと)を確かめ、そして自らの生きる方向を確認してきたのです。お内仏が生活の中心、いつでも帰ることのできる心の拠り所になっているのです。
ここまで申し上げれば、お内仏はご先祖を安置する壇(先祖壇)でもなければお願い事をする壇(依頼壇)でもないことが知らされましょう。ましてやインテリアでないことも。
お内仏は、お一人お一人の内なる仏さま・ご本尊に気づけとの促しです。そう気づいてはじめて、ご本尊をお掛けするお内仏が生きてはたらいてくるのです。