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仏事一口メモ
 お墓(2)
  第26回 <1997年3月>

 今回は、墓石の正面に記す言葉についてお話します。
 一般的に墓石には、「○○家の墓」「先祖代々の墓」と刻まれる場合が多いようです。これは、文宇通り、○○家の代々の墓所(納骨所)という意味付けからでありましょう。昨今では、公営の墓地などにまいりますと、「夢」「旅路」「永遠」など、独創的な言葉も増えてきました。

 浄土真宗では従来、「南無阿弥陀仏」や「倶会一処」などの仏語(仏さまの教えを表す言葉)を記してきました。こうした仏さまの教えを記すことで、お墓を仏縁の場といただいてきたのです。

 日常生活を振り返ってみますと、私たちは、忙しい忙しいと言いながら仏さまに手を合わすこと(合掌礼拝)すら忘れて生活しています。

 こういう私たちに、仏さまは、生まれた意義に気づき喜びのある人生を歩みなさいと呼びかけているのです。その呼びかけに応じた姿が、南無阿弥陀仏を申すということです。仏さまの教えを自らの依(よ)り所(どころ)として生きます、という表白(ひょうびゃく)なのです。南無阿弥陀仏は、苦しみ・悩み多い人生のご本尊(本当に尊いことを教えてくれる真の依り所)となるのです。

 前回でもご紹介しましたが、浄土真宗の教えに生きた四国讃岐の庄松(しょうま)さんは、「おれは死んでも石(お墓)の下にはおらぬぞ」と語ったそうです。確かに、死の事実からいえば身そのものはなくなります。しかし、その人の生きた歩みは残ります。それは浄土真宗に生きた庄松さんの精神でありましょう。庄松さんは”遣骨を拝むのでなく仏さまを拝むのだ”ということを教え示そうとされたのではないでしようか。

 亡き人を仏さま(諸仏(しょぶつ))といただくには、残された者が仏さまの教えに出あうことがなければなりません。その出あいが手を合わす心、礼拝の生活を生むのです。

 ですから、墓石正面に「南無阿弥陀仏」と記すことは、お墓を単なる納骨所に終わらせないということであります。そこには、私にまで流れてきた仏さまの教えにあうという、積極的な意味があるのです。


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