前回は、納骨についてお話しました。いうまでもありませんが、納骨には、遺骨を納める場所が必要になります。
その1つには、寺院の境内墓地や地方公共団体・公益法人などが経営する墓地があります。この墓地の使用には、個人の墳墓(ふんぼ)としての永代(えいたい)使用権を得なければなりません。もう一つは、寺院などが設けている屋内を利用した納骨堂(のうこつどう)です。いずれも、規則がありますので事前に調べておくとよいでしよう。
このような個人で使用するもののほかに、共同で多数の遣骨を納めることのできる合葬墓(がっそうばか)を設けている寺院などもあります。また、前号でご紹介した親鸞聖人のお墓所であります京都の大谷祖廟(そびょう)は、全骨が納められる合葬墓といえます。
ところで、現代人のお墓に対する意識もさまざまなようです。1989年にルポライターの井上治代さんが行った「現代の墓に関する意識調査」(『現代のお墓事情』創元社刊に所収)があります。
それによりますと、「お墓には誰と一緒に入りたいか?」(複数回答可)の質問に対し、「夫婦で」が36.2%、「家族で」34.9%、「自分の両親と」18.8%、「先祖と」25.9%の順だったそうです。
逆に、「死んでまで家族に縛られるのはいや」「死んだ時ぐらいゆっくりしたい」「誰かと一緒というのは煩わしい」などの埋由から、「1人で入りたい」と希望する人もあるようです。別の調査では、お墓は「自分の死後の住まい」と考える人が増えてきたということです。
こうしてみますと、死後を生の延長として見、他人と関わりたがらない現実を死後へ持ち込もうとしているのが、現代人の特徴のようです。
お墓をどう受けとめていくのか、そのことは実は私たちの死生観(しせいかん)が問われているのです。生前中、熱心な聞法者だった四国讃岐(さぬき)の庄松さんは、「おれは死んでも石(お墓)の下にはおらぬぞ」と言われたといいます。この言葉は何を意味しているのでしょう。
次回に考えてみたいと思います。