通夜までに、ご遺体をお棺におさめます。これを納棺(のうかん)といいます。納棺は、できるだけ近親者で行うようにしましょう。服装は白服、または生前に愛用していた清潔な服を着せます。
納棺のさい、故人の愛用品を入れることがありますが、火葬の関係上、金属製のものや陶器などの燃えにくいものは避けなければなりません。
また、湯灌(ゆかん)(遣体をぬるま湯などで拭き、清らかにすること)がおすみでない場合は、納棺の前に行います。(湯灌は第9回を参照)
通夜にお参りしますと、死装束(しにしょうぞく)を身につけておられるご遺体を見受けることが、よくあります。死装束とは、経帷子(きょうかたびら)とよばれる白い着物を着せ、頭には三角形の頭巾(ずきん)、手には手甲(てっこう)をつけ、足には脚絆(きゃはん)を巻き、白たび草鞋(わらじ)、首からは頭陀袋(ずだぶくろ)をさげ、手には杖(つえ)を持たせるという出で立ちをいいます。
これは、人が死んで冥土といわれている世界に旅だつ姿をいうようです。
しかし、このような死装束は、民俗信仰や俗信などが重なって成立したものといわれ、浄土真宗の教えとは全く異なるものです。
浄土真宗では、従来、人が亡くなりますと、浄土に還られると表現されてきました。つまり、私たちは、死んで冥土に旅だつのではないということです。
親鸞聖人は「煩悩成就(ぼんのうじょうじゅ)の凡夫(ぼんぶ)…正定聚(しょうじょうじゅ)に住するがゆえに、必ず滅度(めつど)に至る」と語っておられます。煩(わずら)い・悩み、怒り・腹立ちの絶えない身を生きる私たちが、仏さまの大いなる法のいのちに目党めて、生かされている身と気づくとき、必ず滅度(涅槃(ねはん))に至る身と定まるという意味です。
私たちは、縁あってこの世に生を受けました。すでに生かされてある事実、そして、仏になる身と約束された事実を説くのが浄土真宗です。この意味で、死んで冥土に旅だつという考えは棄(す)てるべきです。亡き人に死装束は、全く意味のないことなのです。
一般的に行われているからといって、そうした支度(したく)をすることは、かえって死者を冒とくすることにもなります。